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 福岡県浮羽町山北。日本名水百選「清水湧水」など豊富な水源に恵まれ、のどかな田園風景や果樹園が広がるその一画に、楠の森に囲まれた当家の建物があります。屋敷の周囲は昔ながらの竹垣に囲まれ、敷地内に張り巡らされた水路には毎年初夏になると蛍が舞います。8棟で構成された木造瓦葺の建物は江戸時代から大正時代にかけて建てられたものです。この浮羽の地で800年間35代続く歴史や伝統行事と、江戸時代からの暮らしぶりを今に伝える屋敷構成がそのまま残された貴重な建物として平成16年「国登録 有形文化財」に指定されました。(「楠森(くすもり)」は古くからの屋号です。)
河北家は、相撲の神として後世まで名高い「大蔵永季」を先祖に持ち、家紋は相撲取りをかたどった珍しいものとなっています。
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 東面して建つ妻入の2階建て。屋根は、東面入母屋造、西面切妻造、桟瓦葺で、各面には高さの異なる下屋を廻し、南面や西面に角屋を突出するなど、複雑な平面に対応した変化ある外観をつくる。上層民家に相応しい雄大な規模と、格式ある構成を備えている。
 主屋の南西方に接続して建つ離れ座敷。木造平屋建、3室からなるL字型平面で、屋根は南北棟の入母屋造で下屋を廻し、南面東側は寄棟造屋根を突出する。全体に繊細な数寄屋風のつくりで、軒下の小窓に軒丸瓦をはめこんで飾るなど、要所に趣向を凝らしている。
 主屋南面の東に廊下で結ばれている接客用の座敷。木造平屋建、入母屋造、桟瓦葺で、下屋を廻す。内部は1間半の大床を備えた12畳半の1室で、周囲に縁側を設け、開放的な扱いとする。良材を用いた丁寧なつくりになり、壁や欄間などの造作も手が込んでいる。
 桁行約16mの土蔵造で、西側に秤蔵が接続する。屋根は東西棟の切妻造、桟瓦葺で、南面に戸口を2箇所設け、庇を付ける。外壁は漆喰塗だが、内部は東西に分かれ、西側は2階建てになるが、東側は吹き抜けの広大な1室とする。屋敷内で最も大きい収納施設である。
 桁行約7mの木造平屋建、切妻造、桟瓦葺で、材木小屋の西妻面に接続して建つ。床材に万延2年の墨書があるが、家相図より明治後期に現在地に移動し、改造されたと考えられる。現在は車庫等になっているが、屋敷構成の変遷を知る上で欠かせない存在である。
 主屋の北西方に離れて建ち、西で米蔵と接する。木造2階建て、東西棟の切妻造、桟瓦葺で、南面には戸口2箇所を設け、下屋庇をつける。外壁は漆喰塗で1階の腰を縦板張とし、2階に虫籠窓などを設ける。1階3室、2階に居室を設けた重厚なつくりの付属施設である。
 南北棟の切妻造、桟瓦葺、2階建の土蔵で、外壁は漆喰塗、腰を縦板張とする。北半分の米蔵は棟木に文化9年の墨書、南半分の器蔵は柱に安政4年の墨書があり、器蔵が増築されて現状になった。窓及び庇のつくりや位置などの違いに建築時期の差が現れている。
 主屋の西方にある。木造平屋建、南北棟の切妻造、桟瓦葺で、東面に戸口を設け、東と西の各面に虫籠窓を設ける。外壁は軒裏まで塗り込めた荒壁仕上げで、腰は縦板張とする。南妻面の下屋は大正期の増築である。主屋北西方の裏庭空間の構成要素のひとつ。
 旧正月二十日(近年は三月初め)に行う屋敷を取り巻く竹垣の修復作業で、三百年以上続く伝統行事です。竹塀の手前に新しい竹を差し、古くなった竹は取り除き、四段ある孟宗竹の竹ぶちは、新しいものを一番上に、四年前の最下段のものは取り除いていきます。最後に、昔ながらの荒縄だけを用いる技法で裏竹と結って仕上げていきます。中世では各地の領主の館や地侍の屋敷では行われていましたが、現在では竹垣を残す屋敷が少なく北部九州で行っているのは当家だけのようです。後世に伝えたいと地元の方々の善意で現在も続いています。
壁結いの風景
屋敷裏の竹垣
楠森河北家ギャラリー
 楠森堂の秋 
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